金融庁報告書(案)「高齢社会における資産形成・管理」を読み解く

5月22日に公表された金融庁の報告書(案)「高齢社会における資産形成・管理」を発端に、SNSで公的年金に関する批判が噴出しました。

金融庁報告書のリンク:https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/market_wg/siryou/20190522.html

この報告書は、金融審議会市場ワーキンググループにおいて議論されてきた、人生100年時代における金融サービスのあり方について纏められたものです。

私は最初にこの報告書(案)の公的年金に関する記述を見た時に、これが凄まじい年金批判に繋がるなどと、想像できませんでした。しかし、朝日新聞や、これを紹介するネット記事を読んだ人々が(本当にちゃんと読んでいるか怪しいですが)、「やっぱり年金は当てにならない」等と批判を行いSNSで炎上する騒ぎとなりました。

朝日新聞の記事:人生100年時代の蓄えは? 年代別心構え、国が指針案

yahooニュースの記事:「人生100年の蓄え」国の指針案が炎上 「自助に期待するなら年金徴収やめろ」批判殺到

で、改めてこの報告書(案)の全体を通して読んだ、私の感想を述べてみたいと思います。端的に言うと、報告書(案)のタイトル「高齢社会における資産形成・管理」が示す通り、老後の生活設計を検討するにあたって「長期・積立・分散投資による資産形成」を前面に出しすぎて、公的年金等その他の重要と思われる事柄が陰に隠れてしまっているというのが私の印象です。

それでは、以下に4つのポイントを挙げてお話ししてみたいと思います。

 

1.高齢者の再定義

報告書の中では、下のグラフのように健康寿命の延伸や高齢者の運動能力の向上といったデータを示して、高齢者が総じて元気で、就労率も他国と比較して高い水準であると述べています。

これらに加えて、私の方からもう一つご紹介したい高齢者に関する調査があります。それは、日本老年学会および日本老年医学会が公表した「高齢者の定義と区分に関する提言」です。

これは、医者が高齢者の若返りを認め、それに従って高齢者の定義と区分を以下のように変更することを提言したものです。

従来、高齢者とされてきた 65 歳以上の人でも、特に 65 ~74 歳の前期高齢者においては、心身の健康が保たれており、活発な社会活動 が可能な人が大多数を占めています。

・・・・・(中略)・・・・・

これらを踏まえ、本ワーキンググループとしては、65 歳以上の人を以下のよ うに区分することを提言したいと思います。

65~74 歳 准高齢者 准高齢期 (pre-old)
75~89 歳 高齢者 高齢期 (old)
90 歳~ 超高齢者 超高齢期 (oldest-old, super-old)

そして、このように高齢者を75歳以上と再定義することの意義として、以下のような点が挙げられています。

  • 従来の定義による高齢者 を、社会の支え手でありモチベーションを持った存在と捉えなおすこと
  • 迫りつつある超高齢社会を明るく活力あるものにすること

このように従来の高齢者に対するイメージを変えることによって、私たちのライフプランに対する考え方が変わることが期待されます。そうすれば、老後の生活設計する上での不安の一つである「長い老後の生活資金をどのように準備すればよいのか」ということに対する答えも見えてくるのではないでしょうか(答えは4で述べます)。

 

2.老後の生活資金は平均値では分からない

報告書の中では、家計調査の結果を基に、「年金生活者世帯では毎月の生活費が年金だけでは足りず、5万円の赤字となっており、これを資産の取り崩しで補填している」というような記述があり、これが見る人を不安にしたり、不安を煽る材料に利用されているように感じます。

下の表は、報告書で使用された家計調査の支出データをまとめ直したものです。

このデータを見る時のポイントは、次の二つです。

ポイント①:生活費の不足分とされている5万円ですが、表の支出項目を見ると、教育娯楽費と交際費が合わせて5万円程です。つまり、年金だけでも衣食住に困ることなく生活はできるのです。この点については、山崎俊輔氏が書かれたコラムを読んでいただければと思います。

コラムのリンク:人生100年時代に自助努力を、と国が示して怒っている人は、「一部」と「全部」の大違いが分かっていない

ポイント②:家計調査の結果は平均値です。平均値を自分に当てはめても、あまり意味はないかもしれません。例えば、持ち家でない人は住居費がもっとかかるでしょうし、車を持たず専ら公共交通機関を利用する人は、交通・通信費がそれほどかからないかもしれません。

報告書の中でも不足額は人それぞれ(不足しない場合もあり得る)として、各自でよく考えることが重要と書かれていますが、どうもこれを取り上げるメディアは、「毎月5万円不足」という点を強調し、結局不安を煽っている形になっているので注意が必要です。

 

3.公的年金制度についてより正確な記述を

そして、今回の報告書で最も注目を浴び、非難の対象となった部分は、以下の文章です。

公的年金だけでは望む生活水準に届かないリスク
人口の高齢化という波とともに、少子化という波は中長期的に避けて通れない。前述のとおり、近年単身世帯の増加は著しいものがあり、未婚率も上昇している。公的年金制度が多くの人にとって老後の収入の柱であり続けることは間違いないが、少子高齢化により働く世代が中長期的に縮小していく以上、年金の給付水準が今までと同等のものであると期待することは難しい。
今後は、公的年金だけでは満足な生活水準に届かない可能性がある。年金受給額を含めて自分自身の状況を「見える化」して老後の収入が足りないと思われるのであれば、各々の状況に応じて、就労継続の模索、自らの支出の再点・削減、そして保有する資産を活用した資産形成・運用といった「自助」 の充実を行っていく必要があるといえる。

私は、「公的年金制度が多くの人にとって老後の収入の柱であり続けることは間違いないが」という一文で、まあ問題ないかなと思ったのですが、その後に続く、「年金だけでは生活できないので、足りない分は自助によって賄わなければならない」という論調が、年金を批判する人々の格好の標的になってしまったようです。

まあ、深い知識や考えも無く、単に国のやっていることに対して批判することが目的となっている人達もいるようで、それは言論の自由のようなものかもしれませんが、中には「自助が必要」=「資産運用が必要」という風に報告書のメッセージを歪めて伝えることにより、金融商品や保険の売り込みのチャンスを伺う営業マンも多くいるのではないかと心配です。

報告書(案)をよく読んでみると、やはり公的年金については説明が不足していたのでないかと感じます。具体的には「年金の給付水準が今までと同等のものであると期待することは難しい」というところです。

確かに、少子高齢化に伴う年金給付抑制策としてマクロ経済スライドが実施されており、所得代替率が現在の6割程度から5割程度に低下していくということが、公的年金の財政検証で示されています。

しかし、財政検証では給付水準の維持と向上を確保するための改革案の提示もされています。具体的には、①マクロ経済スライドをデフレ時にも実行できるようにする、②パート等の短時間労働に対して厚生年金の適用範囲を拡大する、③年金制度に加入できる期間を延ばす、繰下げ受給により年金を増額する、の3つです。

この3つの改革案について詳細は割愛しますが、特に③の繰下げ受給による年金の増額は、各自の意思によって実行できる老後の生活設計をする上で重要な選択肢ですが、これについて報告書の中で全く触れていないのは、少々残念でした。

 

4.老後の生活設計における優先順位

報告書の全体から受ける印象は、老後の生活をより豊かで充実したものにするには、若いころから投資による資産形成を行い、老後は公的年金とその資産を取り崩すことによって生活をして行く必要性を説いているように感じます。

まあ、金融庁の報告書なので投資を促進したいという意図も理解できますが、老後の生活設計を検討するなら、検討の順番は以下のようになるのではないでしょうか。

(1)まず、いつまでどのように働くかを考える。最初のセクションで述べた通り、高齢者の若返りが進む中、60歳あるいは65歳で引退というこれまでの既成概念のようなものを取っ払って、できるだけ長く働くことをまず考えるべきではないでしょうか。今、20歳~30歳台の方にとっては、70歳あるいはそれ以上の年齢でも働き続けることは、気が遠くなるように感じるかもしれません。しかし、今現在と同じように、ずっと働く必要はないのです。会社や仕事を変えたり、働く時間を短くしたり、その時々に応じた働き方があるはずです。具体的には、すぐに思いつかなくても、頭の隅では自分はどのように働きたいのかということを考え続ける必要があるでしょう。長く働くことによって、心身両面の健康を維持できるという効果も期待できます。

(2)長く働いて収入が得られれば、年金の受給開始時期を繰下げることによって、増額された年金を受け取ることができます。あるいは、一定の資産があるならば65歳以降の生活費にそれを充てることによって、繰下げ受給をするという選択肢もあるでしょう。報告書では、認知・判断能力の低下によって金融商品や金融サービスに関する意思決定が適切に行えなくなるリスクについても触れられていますが、公的年金の繰下げ受給であれば、十分な額の年金を終身で受け取ることができ、認知・判断能力の低下によるリスクを低減できる可能性もあると思います。

(3)金融庁が一押し(?)する、長期・積立・分散投資による資産形成ですが、これは、自分の老後のためにというよりも、今すぐ使わないお金を企業の事業資金として回すことによって、その事業が世の中をより良くすることをサポートする社会貢献活動のようなものではないかと思います。そして、企業の利益の結果を配当やキャピタルゲインとして享受することによって、自分の老後も豊かになるという循環ができるということではないでしょうか。単に「資産を増やす」というところばかりが強調されると、かえって投資の促進が阻害されるような気もしますが、どうでしょうか。

このように、老後の生活設計で重要なのは、資産形成だけではありません。しかし、報告書で資産形成の部分が強調されると、金融機関等がこれを利用した営業活動に傾注するのではないかと、少々心配してしまいます。

 

5.最終版が公表されてしまいました

さて、今日(6月3日)このブログを書いていたところ、金融庁から本報告書の最終版が公表されてしまいました。

報告書(案)で炎上の原因となったとして、上の3で紹介した部分は、以下のように誤解を招かぬように配慮がされ、若干書き換えられたようです。

(3)公的年金の受給に加えた生活水準を上げるための行動
人口の高齢化という波とともに、少子化という波は中長期的に避けて通れない。前述のとおり、近年単身世帯の増加は著しいものがあり、未婚率も上昇している。公的年金制度が多くの人にとって老後の収入の柱であり続けることは間違いないが、少子高齢化により働く世代が中長期的に縮小していくことを踏まえて、年金制度の持続可能性を担保するためにマクロ経済スライドによる給付水準の調整が進められることとなっている。
こうした状況を踏まえ、今後は年金受給額を含めて自分自身の状況を「見える化」して、自らの望む生活水準に照らして必要となる資産や収入が足りないと思われるのであれば、各々の状況に応じて、就労継続の模索、自らの支出の再点検・削減、そして保有する資産を活用した資産形成・運用といった「自助」の充実 を行っていく必要があるといえる。

3で述べたような、年金改革の一つ一つについて触れる必要もないかと思いますが、やはり、年金の繰下げ受給については、老後の生活設計の重要な選択肢の一つであるにも関わらず、報告書の中で一言も触れられていないことについては疑問に感じます。

今後は、報告書(案)と報告書(最終版)について、どのような議論がなされたのか、議事録の公表を待ちたいと思います。

このブログが皆さんのお役に立てば幸いです。ご意見、ご質問などがありましたら、こちらのお問合せページからお願いいたします。

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